しわを呼び出そう
金融と国家の位相2007年に勃発した米国住宅ローン市場における「サブプライム」問題は、その予想外の影響の大きさに世界の金融市場が震憾した。
発端は米国金融機関による住宅ローンの安易な提供にあったが、そのリスクは証券化という金融技術を通じて世界中に拡散されており、金融市場は誰がどの程度のリスクを抱えているのか、全くわからない状態に置かれていることに気づいたのである。
証券化やデリバティブ(金融派生商品)などの技術は、元来リスクを分散させるというプラスの効果を果たしてきたが、それが高度化し複雑化するにつれて、リスクが意外な場所に集中して堆積することがある、ということも判明した。
集中を避けるための分散が、新たな集中を生むという現象である。
この金融リスク拡散は、不明瞭、不透明、不安定という恐怖感を与えるという意味で、軍事における核拡散と似たところがある。
どこにどんなリスクが存在するのかわからぬほど、怖いものはない。
現代金融市場は、さまざまな市場変動リスクや信用リスクなどを回避する技術的コンセプトの導入に成功してきた。
具体的には、先物やスワップ、オプションといった技術である。
それらはマネーゲームを助長したという批判も受けたが、実際には政府や企業の金融活動の柔軟性を高め、市場の効率化を促し、眼には見えない形で現代経済における生活水準の引き上げに役立ってきたのである。
だが、2007年に顕在化したサブプライム問題は、そうした金融技術を利用する人々の倫理感や責任感を問う契機となった。
そこには、金融という産業自身への疑問も凝縮されている。
最近では金融の膨張や暴走に否定的な見方も増えている。
金融は本当に経済成長や生活向上に役立っているだろうか。
そのあたりのわかりにくさについては、次節で少し噛み砕きながら述べておくことにしよう。
さて、米国のみならず世界中で話題となったサブプライムとは「プライムの下」、つまり優良ではないものを指す。
住宅ローンにおいては、金融機関が通常貸すことのできない信用力の低い人々への貸し出しを「サブプライム・ローン」という。
そうした貸出がなぜ可能になったのだろうか。
その背景には、主要国の中央銀行による金融緩和の長期化や米国住宅価格上昇の常態化、あるいは市場安定化によるレバレッジ運用の増大などさまざまな要因が挙げられるが、「証券化と格付け」を利用した機関投資家への「リスク転売の技術濫用」もそのひとつにカウントされるだろう。
サブプライム危機は、米国を発端としながらも即座に欧州に波及し、さらに中東やアジアなど世界中に伝播することになった。
世界の金融市場では、資金移動のボーダーレスだけでなく、金融技術という共通プラットフォームの下での同質化という現象も起きていたのである。
その基盤のうえでは、リスク・ヘッジのために開発された金融技術が「利益最大化のための武器」に転用され始めていた。
恐怖を解消しようとする当初の目的が、反対に恐怖を生む道具に変容していく過程は、まさに核抑止力と核拡散とのいたちごっこに似ていると言えなくもない。
生活を豊かにするはずの科学技術が、安全を脅かしているのである。
実は、国際金融もそもそも軍事と同じように、共同体や国家あるいは教会など、政治的権力を背景としたプロジェクトとして始まったものである。
どちらも適切な管理の必要性を問われながら、政治的な利害衝突やループホールからの遺漏によって、危機を繰り返してきた。
現代の国際社会において、核拡散という厄介な問題と金融リスクの不透明さという問題が、重なり合うようにして人々を悩ませているのは、決して偶然の出来事ではない。
1990年の東西ドイツ統一や翌年のソ連崩壊など、一連の「冷戦終了」を示す国際情勢のなかで、アジアではまだ冷戦が終了していないことを日本に再認識きせたのは、北朝鮮による1998年のテポドン発射事件であった。
1段目は日本海に、2段目は日本列島を越えて太平洋に落ちたという報道に北朝鮮脅威論がにわかに巻き起こり、くすぶっていた核兵器開発への疑念も再燃していった。
その後北朝鮮は核兵器保有を公言、これに対して中国を中心に日米韓露が参加する6ヵ国会議の枠組みのなかで、朝鮮半島の非核化への解決に向けた外交努力が開始されたのは周知のとおりである。
軒余曲折のなかで米国や日本は経済制裁を実施していくが、結果的に北朝鮮を動かしたのは、輸出規制などの経済制裁ではなく、米国による金融制裁であった。
北朝鮮の2500万ドル問題この金融制裁は、2005年に米国財務省が米愛国者法にもとづいてマカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)をマネーロンダリングの懸念先に指定し、米銀に同行と取引を停止するように求めたことに始まる。
その後の詳細な調査で、米国側はBDAが北朝鮮の数々の違法行為を容認していた事実を把握し、北朝鮮関連の資金2500万ドルは凍結されることになった。
この資金は政府高官への私的援助基金として利用されており、北朝鮮の体制維持のための重要な資金であったといわれる。
2500万ドルは円換算すれば約23億円であるが、国際資本市場ではほとんど無視できるほどの金額であり、そうした小額の資金凍結やその解除が、核兵器問題というきわめて高度な外交的交渉に影響を及ぼした、というのは見逃せない事実である。
結局、米国は政治的判断から金融制裁は解除しないまま、2500万ドルの資金凍結を解除することになったが、その過程で資金返還にかなりの時間を要したことから、北朝鮮が金融取引の持続性を保証するように主張していた可能性が高いと考えられる。
つまり、北朝鮮にとっては2500万ドルの現金よりも、将来的なドルの受け渡しルートの確保の方が重要であった、ということである。
輸出入に規制をかける経済制裁はたしかに効果があるが、闇ルートが存在する限り致命的な結果を期待することはできない。
だが銀行を通じた資金の受け渡しができなくなる金融制裁は、国の存亡にかかわるものとなる。
BDAをめぐる問題は、銀行を経由する資金授受ルートの確保が、軍事力と同様に国家にとっていかに重要であるかを浮き彫りにさせた事件であったということができるだろう。
基軸通貨をもつ米国にとって、金融力は軍事力に劣らぬ、あるいは核兵器よりも威力を発揮しうる力である。
核開発への疑念が消えないイランに対しても、米国は金融制裁を仕掛けている。
この脅威を避けるべく、イランは原油のユ−ロ建て取引を主張するなど「ドル離れ」の可能性を模索しているのである。
米国との対立が目立ち始めているロシアでも、株式市場の指数はドル建てで取引されており、米国通貨の影響下にある。
米国が有する金融力は、軍事力と並んでまさに世界を威圧する国家の力のひとつであるといってよいだろう。
当然のことながら、軍事力は資金がなければ育成できない。
歴史の教科書に見える日本史や世界史などはまさに戦争の歴史であるともいえるが、その裏側にある金融に関してはほとんど記述されることがない。
古代の政治権力がもつ軍事力は搾取によって支えられたものであったが、徐々にそれは献金や借入金によって賄われるようになる。
なかには、英国エドワード3世のように何度も債務不履行を起こした国王もいた。
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